回想

回想の練習/備忘録

回避

回避性パーソナリティ障害

社会不安障害

 

調べた。

 

今まで騙し騙しやってきたけれど、年を取って耐えられなくなってきた。

気取り、詐病だと思っていたが違った。

 

恥、劣等感、それしかない。

馬鹿げた被害妄想。

以前は支援する側にいた。

病院に行くか迷う。

今日初めて早退した。

どうしようもない。

退職まで、あと少し頑張ろう。

 

何か話がしたい。

ただそれだけ。

 

返信

誰かに打った怒りは、笑える程の速さで返ってくる、異なる場所から異なる形で。どうしたって逃げられない。

年を取るたび、自覚的に、客観的になるのだから、耐えられないなあと思う。

 

二ノ宮隆太郎の新しい映画、逃げきれた夢、面白い題名だ。

 

葛西善蔵の随想集を読む。

こんな話が何になんの?って、書いていた。

何になんの?って、何処までも突き抜けていくような感じだ。10年後に読んでも、きっと確かな言葉だろう。

 

仕事を辞める事ばかり考える。

全然、大したことない事柄だ。

 

柴崎友香のショートカットを読む。

点在、偏在、

いつも少し甘ったるい声色が鳴る。

少し嫌な気もする、自意識の影だ。

ズボンの裾が触れながら、電車の中で、街の中で、色々な景色を見ているような。

憧れも諦めもなく、眺められる場所がある人達が出てくる小説。

ちゃんと、全てに相応の距離がある、だから、怖くなく、さして悲しくも楽しくもなく、ちょうど良いのかもしれない。

 

母の日は3日前だ。何も知らない。

猫にも安全な観葉植物、エコプラントを買おうかと考えていたくらいだ。

何度も知らされないと、何もかも通り過ぎる。

実家、吉祥寺

今日は父の日と、朝知った。

12時に家を出て、13時に実家に着いた。

帰り道、吉祥寺に寄って、17時に帰宅した。

 

ゴールデンウィーク前に、ソニックユースの「音速青年」というブートレコードが入荷していた事を思い出し、パルコの地下に移転したディスクユニオンへ行ったが、既に売り切れていた。

 

吉祥寺は賑わっていて、何となくもう少し歩きたくなったので、百年という本屋に寄った。

 

店内にはBGMが流れていたが、カメラのシャッター音が鳴ると共に一時停止を繰り返していた。

スピーカーに無線接続されたスマートフォンでカメラを操作し、BGMがぶつ切りになるという要領の悪さを、不思議に思いつつ、本を二冊買って帰った。

 

父は先週、退院した。

父の顔は白くて、足は浮腫んでいたが、まずまず元気そうだった。

食欲はあるらしく、買ってきたケーキを完食した。

20才を過ぎた猫にも会ってきた。

痩せて黒目は白っぽくなり、コオロギみたいな鳴き声を響かせていた。それでも変わらない猫。

 

帰宅して、暫く経ったけれど、まだ雨は降らなそうだ。夕焼け空が見える。

 

今日買った本にHONZIさんの事が少しだけ書いてあった。

この空の色のような、赤紫のイメージがある。

勇敢で、無邪気で、楽しげで、悲しげな、複雑な色をした人。

井の頭公園、四月の雪

近所のコンビニでコピー機待ち。

前の人が時間かかりそうなので、パンを買って一旦自宅に引き返すと帰り道、雨が落ちてきた。

また今度にしよう。

 

 

三月が終わり、四月になった。

一昨年の四月、吉祥寺の井の頭公園近くにある小さな(Liltという)バーで、satomimagaeさんのライブを観た。

そこは5階に位置していたので、大きな窓から向かいの街路樹を臨みつつ、演奏を聴いていた。

サンプラーから流れる環境音とギターの音が深いリバーブの中に混ざり合い、歌が一定の距離を保ったまま滲んでいく。

 

未発表曲やbandcampでのみ販売していた楽曲を多く演奏していたが、断片的な短いカーブが点在したような、過渡期の印象を受けた。

 

ライブが終わり、井の頭公園へ向かった。

公園へ入る階段には一人、路上演奏者がいて、ギターで弾き語りをしていた。

四月に雪が降る。Princeの歌だった。

 

 

今年の2月、実家へ帰ったついでに井の頭公園へ行ったら、いつかの路上演奏者がいたので、すこし話をする事ができた。

今日の仕事

シャムキャッツが解散したと数日前に知って、その後、なんとなく、落ち着かない気持ちが続いていた。

何年も前に、渚も、落ち着かないのさ、も、新代田で聴いたのだ。

 

 

20時過ぎに都知事選の結果を知る。

ツイッターで、他人の言葉を見る、皆んな「予想通り」と言ってる。

 

100人を越えた。

どんな結果も皆んなの予想通り。

世界は回ってる。

でも、面白い人がいなくなった。

 

 


夕飯食べて、膝の上で、嫌がる猫の爪を切る。

蕎麦が乗ってた丸い皿に爪を落とす。

今日の仕事は終わった。

さべつとキャベツ

https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=cnxaM3m4agk

 

4月8日、テニスコーツが新しい歌をYouTubeにアップロードした。

さべつとキャベツ 

聴いて、何故か私は泣いてしまった。

 

 

酷い歌だった。

口が裂けても、「素晴らしい」「美しい」「格好いい」なんて言えない。

なんて言えばいい?

 

なんでこんなに醜いことを歌わなければならないのか、歌わされているのか。

この怒りや苦しみを、「美しい歌」として讃えてはいけない。今は。

痛みに美醜なんてない。

私が死人なら涙を流すどころか何も思わなかっただろう。

 

この歌を聴いて、私は彼らと同じ世界に生きている事を知った。

しかし、この歌に歌われている事がすべて真実だと、私は思わない。

「あいつ」は、「心」を持たない悪魔なのか?

「わたしたち」と何が違うのか。

 

「愛がなければ人生は無意味」

希望として歌われるはずの言葉。

それすら「あいつ」に向けられた呪詛として響いてしまう。

 

憎しみか怒りか諦めか悲しみか分からない。

自分はこの歌の中に何を見たのか。

上手く言葉にする事が出来ない。

 

 

私は何を相手にしているのだろう?

明日はきっと雨が降って、電車に乗る。仕事に行く。

 

 

豊田道倫さんについて

豊田道倫さんが東京を去ったという。

3月25日、七針で「tokyo」と銘打ったワンマンライブを行った。

私は行かなかった。

 

 

豊田道倫さんを最後に見たのはいつか。

ライブ会場では、何度か見かけた。

麓健一さんや、工藤礼子さん、双葉双一さんのライブ会場で。

あと、マイブラのライブでは物販の列に並んでいたような気がする。

 

吉祥寺のディスクユニオンでrock 'n' roll1500を見つけて、なんとなく買って聴いたのが最初。

 

初めて聴いた時は、驚いた。

こんな醜い鼻づまり声で歌を歌う人がいるのかと。

そう思ったのに、気付けば、移動遊園地を何度も何度も聴いていた。

 

初めてライブを見たのは、2010年の夏だった。

 

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満員の会場で、小さな椅子に座りながら、なんとなく息が詰まるような気持ちで、トリの豊田さんの演奏を見た事を今も憶えている。

 

「オレを呼んでも客呼べないよ」「でもオレを呼ぶとイベントに箔がつくらしい」なんて嘯いていた。

 

近い界隈で固められた共演者に対し、異邦人として居心地の悪さを隠そうとしないその態度は、最後に演奏したUFOキャッチャーにおいて完遂された。多分。10年も前の事。

 

3時間もそこに居て、帰り道、落ち込んだ。

それは今も変わらない。(大分慣れたが)

私にとって、ライブを見る事は、居心地の悪さと共にある。

しかし、彼の歌もまた、居心地の悪さを背負っていた。そんな気がした。

 

豊田さんの音楽や言葉は、いつも私の関心の一端にあり、一年に一度くらいだが、ライブを見に行く事が続いていた。

 

印象に残っているのは、2017年12月、昼間にやった無力無善寺でのワンマンライブ。

客と常用英単語に関する二、三のやり取り(チュートリアルの意味知ってる?)を経て、最後に演奏されたフィッティングルームという新曲。

試着室の天井、冬の空、地下鉄のベンチ「疲れたんじゃない?」、

眩しい程に歌が加速していったので、無善寺の壁を見回した。

こんなに汚い場所に居ても、新しい世界を想像出来る。

 

冬の朝が一番良い。冬の昼間も同じくらい良い。

帰り道、まだ外は明るかった。

冷たい空気を吸い込んで高架下の人混みに紛れて、それだけで、自分も歌になったような気がした。よく憶えてる。

 

 

私の職場は目黒にある。

豊田さんが住んでいた街らしい。

油面公園もよく知っている。梅がたくさん咲いていた。子供達がよく遊んでいる。

しばらくはこんな日が続くだろうか。