回想

回想の練習/備忘録

豊田道倫さんについて

豊田道倫さんが東京を去ったという。

3月25日、七針で「tokyo」と銘打ったワンマンライブを行った。

私は行かなかった。

 

 

豊田道倫さんを最後に見たのはいつか。

ライブ会場では、何度か見かけた。

麓健一さんや、工藤礼子さん、双葉双一さんのライブ会場で。

あと、マイブラのライブでは物販の列に並んでいたような気がする。

 

吉祥寺のディスクユニオンでrock 'n' roll1500を見つけて、なんとなく買って聴いたのが最初。

 

初めて聴いた時は、驚いた。

こんな醜い鼻づまり声で歌を歌う人がいるのかと。

そう思ったのに、気付けば、移動遊園地を何度も何度も聴いていた。

 

初めてライブを見たのは、2010年の夏だった。

 

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満員の会場で、小さな椅子に座りながら、なんとなく息が詰まるような気持ちで、トリの豊田さんの演奏を見た事を今も憶えている。

 

「オレを呼んでも客呼べないよ」「でもオレを呼ぶとイベントに箔がつくらしい」なんて嘯いていた。

 

近い界隈で固められた共演者に対し、異邦人として居心地の悪さを隠そうとしないその態度は、最後に演奏したUFOキャッチャーにおいて完遂された。多分。10年も前の事。

 

3時間もそこに居て、帰り道、落ち込んだ。

それは今も変わらない。(大分慣れたが)

私にとって、ライブを見る事は、居心地の悪さと共にある。

しかし、彼の歌もまた、居心地の悪さを背負っていた。そんな気がした。

 

豊田さんの音楽や言葉は、いつも私の関心の一端にあり、一年に一度くらいだが、ライブを見に行く事が続いていた。

 

印象に残っているのは、2017年12月、昼間にやった無力無善寺でのワンマンライブ。

客と常用英単語に関する二、三のやり取り(チュートリアルの意味知ってる?)を経て、最後に演奏されたフィッティングルームという新曲。

試着室の天井、冬の空、地下鉄のベンチ「疲れたんじゃない?」、

眩しい程に歌が加速していったので、無善寺の壁を見回した。

こんなに汚い場所に居ても、新しい世界を想像出来る。

 

冬の朝が一番良い。冬の昼間も同じくらい良い。

帰り道、まだ外は明るかった。

冷たい空気を吸い込んで高架下の人混みに紛れて、それだけで、自分も歌になったような気がした。よく憶えてる。

 

 

私の職場は目黒にある。

豊田さんが住んでいた街らしい。

油面公園もよく知っている。梅がたくさん咲いていた。子供達がよく遊んでいる。

しばらくはこんな日が続くだろうか。